コナミといえば長年ゲーム業界を引っ張り、現在でもヒット作を生み出し続ける大手メーカー。今回はコナミ現会長・上月景正氏の1本のインタビュー記事から、どのような想いからこの企業が生まれたのか考察してみたいと思います。
上月景正のゲーム事業立ち上げの記録を紐解く
コナミは1969年創業の会社で、当時はジュークボックスのレンタル業でした。創業の数年前、当時の上月景正氏はレコード会社に勤務し、飲食店向けにジュークボックスの販売をしていたとのことです。しかし、アメリカでは高価だったジュークボックスを売るのではなく、レンタルをしてビジネスにしていたらしいですが、レンタルに対して売り切りでは勝ち目がなく上月景正氏が勤務していた会社は撤退したそうです。
“その一方で、米軍基地の周辺には歓楽街ができ、そこに軍の中の機械が広がっていく。それがゲームセンターの走りになりました。だからジュークボックスがゲーム業界のすべての原点なんです。”
参考:企業家倶楽部2005年4月号
と語る上月景正氏はこの機会に独立。お得意様のジュークボックスをアフターサービスするところから始めたとのこと。そんな中、ジュークボックスで他人が選んだ曲が流れていて自分の順番を待っている間に何かほかに遊ぶ機械はないかとなったそうで、当時のことについてインタビューではこのように語っています。
“そういう中でジュークボックスは、自分の好きな音楽を聴いているときはいいけれど、他人が選んだ音楽は聴きたくないでしょう。そこでジュークボックスの順番を待っている間、他に遊ぶ機械はないかとなった。それがゲーム機になっていくのです。なんでもよかったのですが、日本にはないからアメリカにあるものを真似てゲーム機がつくられていきました。”
参考:企業家倶楽部2005年4月号
当時はビデオやコンピューターもまだ出現していない時代で、ランプとモーターを合わせたような機械的で単純なものだったといいます。他人の曲がかかっている間の時間を埋めるにはそれでよかったとのことですが、ジュークボックスよりもゲーム機の方が多くの儲けを生みだし始め、ゲームセンターが出来上がっていったとのこと。
その後、時代の流れに乗るかのようにゲーム機の開発を進めていった上月景正氏ですが、ゲーム機の進化に大きな影響を与えたのはダイオードとマイコンといわれています。既存のゲーム機で光っていたランプがブラウン管に表示できるようになったのが80年代の初頭。ゲーム機が機械的なものから電子的なものに変わっていき、テレビゲームとして成長したとのことです。
そして、インベーダーゲームの登場により様々なゲーム機が登場し、もちろんコナミもこれを機にゲーム事業で発展していったということです。
ジュークボックスがきっかけだったというのは予想外でしたが、空いた時間からゲームというビジネスチャンスを見出したことがコナミの原点なのかもしれませんね。
その他にも、上月景正氏は日本のゲーム産業を国際競争力のあるものにすべく、1996年に業界団体・CESAを設立、初代会長に就任しています。
CESAといえば、東京ゲームショウをはじめとする業界の展示会をスタートさせた団体です。現在では日本ゲーム大賞なども主催しており、業界を牽引する団体ですね。
上月景正氏の噂でゲームの考え方について色々言われてることもありますが、 こういった団体設立など日本のゲーム産業を牽引した背景を考えるとゲーム嫌いとは言えないのではないでしょうか。
コナミのゲーム事業のこれからを紐解く
多くの皆さんに「コナミと言えば?」と尋ねると、老若男女問わず数多くのゲームタイトルが出てくるでしょう。(スポーツクラブを思い浮かべる方も多いと思いますが…)
逆に「このゲームタイトルもコナミ」と聞いて驚く人も中にはいると思います。
創業から現在まで数えきれないほどのゲームを生み出し、その他の分野でも事業を展開しているコナミは、現在、そして今後のゲーム事業にどのような考え方をもっているのでしょうか。
私の周りではコナミは将来的にスポーツ事業に力を入れると考えている人もいますが、公式サイトで情報収集すると、昨今の家庭用ゲーム機やモバイルなどの高性能化や通信システムの拡充によって、ゲームコンテンツの需要にはまだ期待がもてると考えているようです。
また、ゲームをスポーツ競技として扱う「eスポーツ」の認知度が高まることによって新たなファン層の広がりがみられ、国体などにも正式競技として採用されていることも追い風となっているようですね。
今のコナミを見ても、ウイニングイレブンの公式大会「eFootball league」や「eFootball.Pro」、実況パワフルプロ野球」シリーズの「eBASEBALL プロリーグ」、アーケードゲームのeスポーツ大会「KONAMI Arcade Championship」など、eスポーツ市場を盛り上げていることが読み取れます。
また、コナミのゲームコンテンツによる世界大会クラスのイベントなども多数開催されていることや、2020年内に「コナミクリエイティブセンター銀座」にオープンするeスポーツの複合施設もあることからも、ゲーム事業は今後のコナミにとっても重要な部分であり、会社としても力を入れていくのではないでしょうか。
まとめ:ゲーム産業を牽引してきたコナミ
上月景正氏がコナミを起業した時代は、ゲーム関連の職業は敬遠されがちで社員を募集するのも大変だったといいます。しかし、様々な課題をクリアしコナミが上場を果たしたことを皮切りに、同業他社の上場が続いたそうです。コナミは「ゲームは単なる娯楽」という既存概念を覆し、一つの産業分野として価値を高めていくのに大きく貢献した会社といえるでしょう。
そして、現在ではゲーム要素は様々なところに入り込んでおり、たとえばゲームをスポーツとして捉えたe-sportsは、世界大会が開かれるほど大きく広がっています。業界の老舗であるコナミも他分野にゲーム要素を取り入れ、e-sportsをはじめとした今後のゲーム産業を盛り上げてくれそうです。
余談
JeSUの活動が一般財団法人 上月財団の 「スポーツ団体・競技大会助成事業」に採択 | 一般社団法人日本eスポーツ連合オフィシャルサイト
偶然見つけたニュースですが、上月景正氏はスポーツや教育・文化に関する支援する財団を運営しているそうで、その財団が日本eスポーツ連合を助成の対象として採択したそうです。
これは、財団がeスポーツもスポーツや競技のひとつとして捉えたと意味するのではないでしょうか。
eスポーツの国際大会が開かれている現在、日本においても競技の普及や支援は遠からず必要になると考えられます。このままの状況を維持できれば、日本eスポーツ連合が目標としているオリンピックの公式種目として採用も現実味を帯びてきそうです。
まだまだ“eスポーツを競技と認められない人”が多いのは確かですが、日進月歩の世の中で進化し続けているゲーム業界だからこそ、これまでコナミを牽引し続けてきた上月景正氏がeスポーツを支援する意味は大きいのではないでしょうか。
今回の助成が、eスポーツの更なる普及と発展につながっていくことを期待しています。